IoT Vol:01「IoTの歴史は“ユビキタス”からはじまった」

 

IoTは、実は30年も前から考えられていたのです

ボタンひとつで欲しいものが届いたり、歯の磨き方を歯ブラシとアプリが自動で分析してくれたり、はたまた、患者さんの異常をネットワーク連動のAIが検知して知らせるなど、モノのインターネットとも呼ばれ、まさに未来を感じさせてくれるテクノロジーであるIoT。ここ最近のウェブやニュースなどでの取り上げられ方を見ても、先端技術という言葉にみごとにハマります。

しかし、どうやらその歴史を紐解くと“先端”というよりも、「ついに実現」という表現が正しいようです。実は、IoTの概念は、30年も前にすでに「ユビキタス・コンピューティング」という言葉で語られていました。

 

 

そのはじまりはマーク・ワイザー博士の論文でした

ユビキタス・コンピューティングはあるひとりの人物により提唱されます。その人物とは「マーク・ワイザー(1952〜1999)」博士。1970年に、アメリカの印刷機器大手ゼロックスが、コンピュータサイエンスの新技術開発を目的に設立した「パロアルト研究所」の技術主任者です。

1970年代から80年代にかけて、コンピュータ発展の方向はひとつに絞られていました。それは、大型志向です。PC含めさまざまなデバイスが小型化した現代ではあまり想像できませんが、大型化させれば、さらにいろいろなことができるという考えが主流だったといいます。なかには、最終的にコンピュータの全機能はとてつもなく巨大なコンピュータ数台でまかなわれ、それを世界の人々がインターネット経由で利用するようになる、という途方も無い未来図もあったとか。

そのような状況に異を唱え、違う未来を予見したのがマーク・ワイザー博士でした。正確には、のちにパーソナルコンピューターの父と呼ばれ、今日のiPadにつながるビジョンを構想した「アラン・ケイ博士(パロアウト研究所)」の「誰もがコンピュータを使えるようになる」という予見をワイザー博士は、さらに押し進めていきました。

その未来とは?

「コンピュータは小型化を続け、その価格は下がり続け、一人が複数台ものコンピュータを所有するだろう。同時に高度に発展した通信技術が普及し、世界中の誰もがあらゆる情報に触れられる」というものです。

この“どこにでもコンピュータがある”環境を、説明するためにワイザー博士が使ったのが「ユビキタス」です。ユビキタスの由来は、「ユビキティ」というラテン語。「あらゆるところに神は存在する(偏在)」という意味を持ちます。1991年発表の論文『The Conputer for the 21st Century(21世紀のコンピュータ)』で用いられ、ここからユビキタスコンピューティングの概念は広く広まっていきました。

そうして、およそ30年の時を経て、ユビキタスコンピューティングは「IoT」となり、今、あらゆるモノに半導体が組み込まれインターネットに接続されようとしています。

 

 

時代はユビキタス・コンピューティングを実現しつつあります

論文しかり、ワイザー博士の未来図のその確かさに驚かされます。例をあげれば、コンピュータの爆発的な普及。世界40カ国のスマホ使用率の平均は約7割。もっとも普及が進んでいる韓国、シンガポールは9割超にも上ります。つまり、世界の人々が日々スマホを持ち、何らかの情報にアクセスしているのが現代。ここにさらに、ノートパソコン(ラップトップPC)やiPadなどのタブレット端末の浸透も考えれば、すでにコンピュータはどこにでもある時代だといえます。

加えて、通信回線。日本でも近年増えていますが、多くのカフェやホテル・旅館などの宿泊施設が無料でWi-Fiを提供。海外ではフリーWi-Fiスポットも多数あります。つまり、街でもお店でも、どこからでもネットにアクセスできる環境もあります。

そして、IoT。センサーが組み込まれIoTデバイスへと変貌を遂げた家電や日用品、工業機械などの製品/ソリューション。それらが自らデータの収集・解析や物事の検知を行えるようになり、人の介在しないサービスが続々と提供されている。この現状を考えれば、今の世の中はユビキタスコンピューティングの概念に限りなく近づいている時代だといえるのではないでしょうか。

 

これから、IoTはどこに向かいますか?

最後に、『The Conputer for the 21st Century』は、とても興味深い言葉からはじまります。

“「The most profound technologies are those that disappear. They weave themselves into the fabric of everyday life until they are indistinguishable from it. 」”
出典:http://www.ics.uci.edu/~corps/phaseii/Weiser-Computer21stCentury-SciAm.pdf

意訳すれば、「技術そのものを、意識させない技術がもっとも革新的だといえる。なぜなら、私たちの生活の一部になっている証だから」といったところでしょうか。その技術例として、ワイザー博士は続けて「筆記」を例にしていますが、考えてみれば、確かに「よい技術は技術を意識」させません。電気を使うときに配線を、コンセントの差し方をどうするか考える人はいないでしょう。また、水道にしてもしかりです。つまり、普遍になり得る技術こそ革新的であり、そして革新的技術はあらゆるユーザーの行動・生活に寄り添い、または融和する要素をもつということ。逆に言えば、難しさや親しみにくさがあってはよい技術ではないといえます。

ここから、IoTを俯瞰すれば、今はまだ“真のIoT時代”とはいえないのかもしれません。新規性が目立ち、例えばテレビ、エアコン、洗濯機、冷蔵庫などの家電のように、または水道、鉄道、道路、病院といった社会インフラのように、まだ当たり前の存在ではありません。

しかしこの先、IoTがどのような進化を遂げるかはわかりませんが、「IoTを意識しない日」はそう遠い未来ではないような気もします。その時、IoTははじめて革新的技術となり、ワイズ博士の未来も具現化することでしょう。

 

【執筆:編集Gp 坂本 嶺】

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