第4章 工藤伸治のセキュリティ事件簿番外編 箱崎早希と老いた迷宮

2016/06/20

<前回のあらすじ>
箱崎早希から顧客データを盗み出す犯行予告の相談を受けた工藤は、早速社内の情報収集に乗り出す。そして、情報システム部門の元社員の山崎に関心を寄せるが……。
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オレがちょっと話を訊きたいとメッセージを送ると、早希はすぐに会議室にやってきた。

「さすが工藤さん、もう真相がわかったんですね」

早希は部屋に入るなり、そう言った。そんなに早くわかるわけないだろと言いそうになったが、それを承知で煽っているのだからわざわざ突っ込むことはない。

「訊きたいことがあってね」

オレが苦笑を返すと、早希はオレの前の席に腰掛けた。

「なんなりとお尋ねください」

「山崎っていつから来てるの?」

「昨日、つまり脅迫状が届いた日にすぐに連絡をとって山崎に来てもらいました。対処はその日のうちに完了しましたが、他の処理に影響が出る可能性があるので、今はその確認をしてもらっています。すでに退職しているので、委託という形でお願いしてます。さきほどの河野という者に引き継いではいるんですが、新入社員ということもあって不安がありますんで」

「それってほとんどを山崎がやってるんじゃないの? やっぱり新入社員にレガシー部分をまかせるのは無理があったんじゃないか」

「ご意見ごもっともです。わかってますよ、それくらい。本来は他の社員が引き継ぐ予定でした。受託案件で倒れた社員がいて、その穴埋めに情報システム部からひとり連れて行かれてしまいました。どう考えてもたいした戦力にならないとしか思えないんですが。それで急遽まだ配置の決まっていなかった新入社員に引き継いでもらった次第です」

早希が腕組みしてため息をついた。強面でならす早希のことだから、情報システム部からの急な異動に文句を言ったのだろう。しかしさすがに抗しきれなかった口惜しさがまだ残っているらしい。

「河野は半年前から教わってたんだよな。どれくらいわかってるんだ?」

「左様です。たいていのことは彼女ひとりでできます。問題を特定できなかった時が困ります。例えば、ある顧客との取引金額の合計が経理の把握している数値と合わなかったことがあります。河野がひとりで対処しました。COBOLで組んだ部分の期をまたいだ処理の有効桁数の設定が間違っていました。修正はほぼ一瞬で終わりましたが、問題を特定するのに数日かかりました。フロントエンドのJavaからさかのぼってSQLやらデータベースそのものやら一通りチェックしたんです。しかし、山崎がいたら一日かからなかったでしょう。全体像とそれぞれのプログラムの動作が頭に入っているから、カンが働くのでしょう。月次の締めや期末処理のトラブルで数日使えないことは許されません。そのへんのカンが河野にはまだありません」

「なるほどな。それで今回すぐに山崎を呼んだわけだ」

「遺憾ながらおっしゃる通りです。ちなみに山崎は四月に退社したばかりですので、仕事を委託するのは今回が初めてです。本人にしてみれば妙な感じでしょうね」

「ひとつ気になることがある。山崎はお別れ会を欠席したって記録にあった。山崎と他の連中の間でトラブルがあったんじゃないか?」

オレがそう言うと、早希が顔をしかめた。

「工藤さんは、カンがいいですね。彼が欠席したのは部長が日帰り出張を命じたためです。山崎をお別れ会の当日に出張させたのは、明らかに意図したものでしょう。私がそれを知ったのは当日、山崎がいないことに気づいた時です。ほんとに忌々しい。あの狸オヤジ」

「なんでケンカしてるんだ? それに山崎だけ孤立するってのもおかしいだろ。たいてい派閥争いみたいな感じで徒党を組むもんだ」

「社内システム入れ替え問題でもめてたんです。山崎はたったひとりの専任者として根本的なシステムの見直しと入れ替えを主張していました。私も同意見です。しかし歴代の情報システム部長は現状維持派です。理由はおわかりでしょう。他の部員は部長につくのが賢明と判断しているのか、中身がわからないから無視を決め込んでいるのか知りませんが、山崎とは距離をおいてました」

「よくわかる。本音では入れ替え賛成だが、自分はかかわりたくないんだ。失敗が怖い気持ちはよくわかる。それにしてもお別れ会って単なる挨拶だろ。そこまで神経とがらす必要があったのか?」

「お別れ会では、山崎が挨拶することになっていました。社長や役員も参加する会ですから、部長は保身のために山崎に欠席させたんでしょう。社長の前で、システム入れ替えを主張されたらヤバイと思ったんでしょう」

「だって、そんなのメールで社長に直訴されたら終わりだろ」

「それじゃダメなんです。多忙な社長がどこまでちゃんと社員からのメールを読んでいるかわかりませんし、仮に読んで問題を理解しても、まず部長から事実確認することでしょう。部長は適当に言いつくろう。システムは見かけ上、正常に稼働しているのですから入れ替える必要はないと言われれば、うなずくでしょう。直接社長の目の前で話せば部長から反論が出てもさらに反駁できます」

「なるほどね。じゃあ、今回のことは山崎が部長を恨んで仕掛けたってことかな。社長以下役員にシステムの問題を再認識させ、自分も社内に乗り込んでチャンスを狙って社長に直訴しようとしたってわけだ」

「すじは通っているようですが、山崎の人となりを知っている私からすると、違和感があります。実直な人間ですから、犯罪まがいのことはやりそうにありません」

「歪んだ正義漢にかられてなら、やるかもしれないだろ。この会社をなんとかしなきゃいけないなんて考えてたりしてな」

「しかし……」

「まあいい。本人から話を訊こう」

「山崎に訊くってことですか? 早すぎませんか? もう少し証拠を集めないと」

早希が目を丸くした。さすがに驚いたらしい。

「いや、おそらくこれ以上は難しい。それに本人が自白すれば全て終わる。あんたも早く終わらせたいだろ。心情的に山崎に肩入れしてるから乗り気じゃないのはわかるが……」

「そんなことはありません。わかりました。山崎を呼びましょう」

心情的に……と言えば早希は反発するだろうと思った通りだった。生意気だが、こういう駆け引きはオレの方に一日の長がある。

「あと、社長にもいてもらった方がいいんじゃないかな。そうすれば社内システムの問題を理解してもらいやすいだろ。この事件は、社長の認識を改めてもらういいチャンスだ」

「ナイスなアイデアですね。ありがとうございます。では社長のスケジュールを確認してみます」

早希が立ち上がる。

「オレはタバコを吸ってくる」

オレは会議室を出ると、すたすたと廊下を歩きだした。喫煙所は一階の裏口にあるから、エレベータで降りなきゃいけない。せちがらい世の中になったもんだ。

オレは遠回りをして情報システム部の部屋をのぞいてみた。現場百回、ちょっとのぞくだけでもなにか見つかることがある。

窓からじっと外をながめている女がいた。河野ひとみだ。その時、河野の机の上に置いてある一冊の本が目に入った。普通なら見過ごしてしまう小さな薄い文庫本。『センセイの鞄』だ。

へえ、と思った。あんな若い女があの本を読むのかとちょっと驚いたが、最近はおじさんが人気ということだから意外にじいさんでもいけるのかもしれない。オレには関係ない話だが。

ビルの裏口を開けると、雨の匂いがした。ついてない降っているのかと思ったが、そうではなかった。いまにも降りそうだが、ぎりぎりで踏みとどまっている。

無造作に置かれた灰皿の横でタバコを吸いながら早希との会話を反芻した。あっさりと山崎を犯人と決めつけたが、よかったんだろうか? 会社は被害届を出すつもりはなさそうだから、山崎が逮捕されて有罪になる可能性はないがなんからのペナルティはあるだろう。間違っていたら寝覚めが悪い。

だが、他の可能性はあるんだろうか? 動機はあるし、犯行を行うための技術も持っている。

この事件で犯人は実際の攻撃を行っていないし、行うつもりもなかった可能性が高いのだから、手がかりはほとんど状況証拠ばかりだ。

犯行に必要なのは脆弱性情報だけで、脆弱性情報を知りうる人物なら山崎が一番怪しい。

山崎も自分が怪しまれることは承知していただろう。それでも証拠はないから、会社はなにもできない。だから犯行に踏み切った。つじつまは合っている。

ふと脆弱性はひとつだけではないような気がした。あれだけ入り組んだものになっていれば、漏れは多いだろう。山崎は何度でも同じ事ができる。何十回もやれば社長や役員たちは嫌でも社内システムに根本的な問題があると考えざるを得なくなる。なにもここでことさら声を上げる必要はない。

だが、退職した会社のためにそこまでやるもんだろうか? まさか委託費用ほしさの犯行ということもあるまい。退職金や年金がある。人事情報には借金がかさんでいるような情報もなかった。

証拠をつかむのは無理だから口を割らせるしかない。向こうもこちらの打つ手がそれしかないとわかっているから、容易に口を割らないだろう。

思わずため息が出た。この仕事では、結論は出ているのに手が出せないことがよくある。今回もそうなりそうだ。

会議室に戻ると、すでに社長が来ていた。前回の事件以来だ。丁重に頭を下げる。

「ごぶさたしております」

オレだって社会人だ。えらいヤツが相手だったら、これくらいの挨拶はする。

「工藤さん、こちらこそ、その節はお世話になりました。大変申し訳ないのですが、三十分しか時間がありません。おふくみおきください」

社長は申し訳なさそうに言うと、左手首のロレックスの腕時計を指した。

「おそらく充分でしょう」

なにも考えずに答えた。山崎と直接話すのはこれが最初だ。どれくらい時間がかかるかなんてわかるわけない。とりあえずそう言って安心させておく。

社長は奥の席に腰掛け、オレと早希が中央のあたりに並んで座った。

「私は黙って見ていればいいんですね。話を振られた時だけ、答えればいいんですよね」

社長が確認するように言ったのでオレと早希はうなずいた。

「はい。それで大丈夫です。お願いします」

早希は答え、社長は背もたれに身体を預ける。

「山崎さんを呼びます」

早希はスマホでメッセージを送ったようだった。送り終わってしばらくすると、「すぐに来るそうです」と言った。

山崎は部屋に入るなり、ぎょっとした表情で足を止めた。社長までいることで、なにごとかと思ったのだろう。

「山崎さん、どうぞ、おかけになってください。うかがいたいことがあって、来ていただきました」

早希は立ち上がり、掌で向かいの席をさす。山崎は、おそるおそるといった感じで、「失礼します」と言いながら腰掛けた。

「初めまして。サイバーセキュリティコンサルタントの工藤伸治と申します。依頼を受けて、脅迫状が届いた事件について調べています」

オレが簡単に自己紹介すると、山崎は、「こちらこそ、よろしくお願いいたします」と返してきた。

「山崎さん、なんで呼ばれたのかわかってますよね」

オレはのっけからプレッシャーをかけることにした。

「いや、わかりません。昨日からお手伝いにうかがっているので、まだ最近の社内の状況は把握しておりません」

こちらの目を見て実直そうに話す。早希の言った通りだ。こいつが犯人とは思えない。しかし、あらゆる証拠はこいつだと言っている。

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