情シスのための新常識ボディメイク術 第1回 「まずは私『三澤 威』について自己紹介」

2016/02/10
三澤威の画像

このページを開いているということは、あなたは、少しは健康や自分の体に興味があるのではないでしょうか。それは、ダイエットかもしれないし、腰痛、肩こりといった体の不調かもしれないし、最近ちょっと動くと息切れを感じると言った体力の低下かもしれない。とにもかくにもあなたはラッキーです。今日から始まるこのコラムは、そんなあなたの手助けになるはずだからです。

申し遅れました。私は三澤 威(みさわ たけし)といいます。元々はプロレスラーでした。新日本プロレスで1990年プロレスラーとしてデビュー。華々しく活躍のはずが、わずかデビュー2カ月後の後楽園ホール大会にて、獣神ライガーとの対戦で頸椎(けいつい)損傷の重症を負いました。四肢麻痺による寝たきりの入院生活から、車いす、歩行訓練、リハビリの長い闘病生活を続け、1年半後に奇跡のカムバックを果たしました。しかし、多少のマヒと痺れが残りながらの試合は自分を満足させるものではありませんでした。そんな日々のなかで、またもやの再負傷をし、再び長い闘病生活が続きました。いくつもの病院、さまざまな治療法、最新療法から民間療法まで、試すことのできるあらゆるものを試みました。しかしながら再びリングの戻ることはできませんでした。

現役時代の試合の画像

私はトレーナーという道を選択しました。私のようにケガで進みたい道を断念する人を減らしたい。たとえケガをしても最小限に抑える知識や技術を知って欲しい。今まで、学校やスポーツ施設などさまざまなところでセミナーや勉強会をおこなって来ました。

三澤威の現役時代の画像

しかし、それでもケガをして、望んだ道を絶たれる人がいる現実。その人たちはどうしたらよいのか。どう生きたらよいのか。プロ野球選手を夢見ていたのに、肘のケガで断念せざる負えなくなった。世界で活躍するサッカー選手になりたかったのに、膝のケガで続けることが出来なくなった……などなど。その子たちは成りたい夢をあきらめ、違う夢を見つけなければならないのか。
私は自分自身のことを考えました。自分がどう生きてきたかを思いました。私はケガでプロレスラーとしては生きていくことが出来なくなった。しかし気持ちはプロレスラーのままである。私が子供の頃、憧れたのはプロレスラーのかっこよさ。プロレスラーの生き方。かっこいい生き方に憧れたのだ。例え職業としてプロレスが出来なくても、かっこいい生き方をして行けば、憧れた生き方が出来る。プロ野球選手になれなくても、プロ野球選手のかっこよさを目指して生きる。憧れたサッカー選手のようにかっこよく生きる。職業ではなく生き方。生き方にシフトすることによって、人はいつまでも夢を持って生きていける!

今、私は、大人たちにそんな生き方をして欲しくて、かっこよく生きるためのメソッドを展開しています。
そこには、食事の取り方、運動、睡眠、普段の生活スタイル全てが含まれます。自然とそれはあなたの体形として現れます。あなたの生き方は、あなたの体形となるのです。そしてその大前提となるのが健康なのです。このコラムに出会ったあなた、子供の頃の夢を思い出して、かっこいい生き方を目指しませんか。そしてその生き方を我々に続く子供たちにみせようではありませんか。

次回の「情シスのための新常識ボディメイク術」は、オフィスで出来るかんたん肩コリ解消編PartⅠです。お楽しみに!

三澤 威 (みさわ たけし)

1989年10月新日本プロレスにてデビューするも、頚椎(けいつい)損傷の重傷を負い四肢麻痺となる。1年半のリハビリ生活を経て復帰したが、再度頚椎(けいつい)を痛めて現役を離れる。

柔道整復師の国家資格を習得後、現在まで新日本プロレストレーナー&トレーニングディレクターとして選手のメディカル管理、練習指導にあたる。プロレスリング以外にも、体操プロデュース、ビューティーアドバイザー、新コンセプトの「4D インソール」開発等に携わる。現在、「かっこいい生き方」をテーマに食、運動、心を連動させた4Dボディソウルメイクを発信、展開中。

●新日本プロレスメディカルトレーナー、トレーニングディレクター
●新日本メディカルトレーナー協会理事長

 

所属:ミサワ整骨院


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