kintoneを“必修”科目に初導入!大阪産業大学のチャレンジで見えたもの vol.2 「やり残したのは人財育成 山田先生が大学教員になったワケ」
- 2016/9/1
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「kintoneが、初めて大学の必修科目のカリキュラムで採用される」という知らせを受けて、サイボウズ社のkintoneビジネスプロデューサー中村龍太氏とともに、大阪産業大学 デザイン工学部 情報システム学科の山田耕嗣先生を訪ねた。大学への導入が難しいkintoneを、必修科目に取り入れた山田先生とはどんな人なのか。(全6回 取材・文:井ノ上美和)
「仕事はできるが、人を育てることはでけへんな」
大阪産業大学で、特任講師を務める山田耕嗣先生。
大阪工業大学 工学部 電気工学科を卒業し、コンピューターサービス株式会社(後の株式会社CSK、現SCSK株式会社)に就職、組み込みエンジニアを経て、BtoB分野の情報システムに関するITサービスマネジメント業務に携わり、2001年、M&Cビジネスシステムズ(後のパナソニックビジネスシステムズ)株式会社(以下M&C)に出向。事業の立ち上げから2010年の会社解散手続きに至るまで、文字通り一通りのことは全てやってきたという。会社解散後CSKに出向復帰、その2年後大学教員の道を選び、2012年より大阪産業大学で教鞭をとっている。
山田先生は、なぜ大学教員の道を選んだのか。
きっかけは、M&C時代の上司がボソっとつぶやいた「お前は、仕事はできるが、人を育てることはでけへんな」という言葉だったと山田先生は振り返る。「お前は、今やらなければならないことはよく気がつくし、仕事もできる。けれど、人を育成するのはでけへんな」と。確かに山田先生自身、会社員時代に人を育てることはしてこなかったと自覚している。「結局、言い訳ですが、当時はとにかく業績回復、受注確保が最優先で(部下の人財育成は)後回しにしていました。他のことをやらずに人財育成に専念できるのなら、自分にもやれるはずだ、と思っていました。会社員時代は、ホントウに営業も管理業務もありとあらゆることをやらせてもらいました。やり残したことといえば、人財育成のみだ、と」(山田先生)。
ミッド・キャリア層やシニア層が、転職や定年退職後の再就職を考える場合、たいていがそれまでのキャリアの延長線で転職先を考える。経験や実績が活かせると思うからだろう。しかし、山田先生の場合は、あえて自分がやってこなかった人財育成にチャレンジした。
“人財育成”ということだけなら、企業の中でもできたかもしれない。
実はもうひとつ、大学教員への後押しになったのが、2008年M&C時代に、母校の大阪工業大学から非常勤講師の依頼を受けたこと。第一級無線技術士の資格を持っていた山田先生は、大学で電波法に関する講義を担当。ここでの体験がとても刺激的だったという。
「考えてみれば、人財育成にずっと興味はあったのかもしれませんね」(山田先生)。
CSK時代に社内論文を書くことが何回かあったが、振り返ってみると、いつも人財育成に関するテーマのことばかりを書いていたという。
就職したことがないのに就活指導!?
山田先生のように、民間出身の大学教員もいるが、教員の多くは大学卒業後、大学院に進んで博士号をとり、研究室で研究を続け、助教、准教授と進む人たちだ。一般企業に就職した経験を持つ教授はほとんどいない。にも関わらず、昨今、教員は学生に対して就職ガイダンスを行ったり、就職の面倒までみなければならない。そもそも自分が就職活動も会社勤めもしたことがないのに、教えろとか面倒をみろと言う方にムリがある。
先生たちが知らない世界なのだから、学生が先生たちから企業社会について学ぶのは難しい。アルバイト先で多少学ぶことはあるかもしれないが、バイト先が「育成」を意識して学生と接していなければ、いちワーカーとして扱うだけになってしまう。
「会社員時代に人事、採用の仕事をしたこともありますが、やはり会社員と大学生の間には大きなギャップがあることを感じていました。学生が、世の中や会社がどんなものなのかを知る機会は少ないし、情報もあまりに少ない。(学生時代の)どこかで、もう少し社会人の素養のようなものを焚き付けてあげたいなと思いました。」と山田先生は語る。
kintoneとの出会い
授業の冒頭にサイボウズ青野社長からのメッセージを上映
2014年、大阪で開催されたサイボウズ・カンファレンス。約900人が集まる人混みの中、なるべく目立たないように控え室に戻ろうとする青野社長がパッと視界に入った、と山田先生は言う。青野社長とは以前、青野社長が松下電工、山田先生がCSKに勤務していた頃にちょっとした付き合いがあった。カンファレンスの会場で青野社長に「大学で新しい取り組みをしたい」と話したものの、その時はこれといって具体的な案があったわけでもなく、特に進展はなかった。
サイボウズ中村龍太氏
翌2015年、再び大阪でのサイボウズ・カンファレンス。人混みの中でそぉーっと会場を後にしようとする青野社長を、山田先生はまたもや目敏く見つけて声をかける。誤解のないように言っておくが、青野社長はとてもシャイで、実は人前に立って偉そうに話したりするのはあまり得意ではない。だからいつもそぉーっと会場を去る。その時、近くを通りかかったのが、サイボウズ社のkintoneビジネスプロデューサー中村龍太氏だった。青野社長は「教育関係なら、こいつです!」と、すぐに龍太氏にバトンタッチ。そこから山田先生と龍太氏のチャレンジが始まった。
サイボウズ・カンファレンスに限らず、山田先生はさまざまなセミナーやイベントに参加するようにしているという。
「閉ざされた空間にいると、世間知らずになってしまいますからね。なるべく外に出るようにしています。学生を社会に送り出す立場の教員が社会を知らないのでは、学生にもまともなアドバイスができませんし」(山田先生)。
“世間知らずにならないように外に出る”これは、大学教員だけでなく、企業人にも言えることだ。
私もいくつかの研究会や勉強会に参加したり、主催もしているが、そこに参加している人たちを見ていると、やはり視野が広く、人脈も広く、ビジネスのセンスも違うなと感じる。常に外部にもアンテナを張り、学ぶ姿勢を持っている人は、当然成し遂げることも違う。
定年が近づいてから、慌てて再就職先を探すのに社外活動を始めるという人も少なくないが、その差は明らかだ。社外のセミナーや研究会に参加してはじめて、いかに自分が社内あるいは取引先との関係だけという狭い世界で過ごしてきたか、“井戸の中の蛙”だったかをまざまざと実感したという人も多い。
Better late than never(遅くてもやらないよりはマシ)だが、やはり普段から外に出ていないと、いい情報や人を見極めるアンテナやセンサーの精度はよくならない。
「外に出て刺激を受けるものが伸びる」これは、間違いない。
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