第5章 工藤伸治のセキュリティ事件簿番外編 箱崎早希と老いた迷宮
<前回のあらすじ>
箱崎早希から顧客データを盗み出す犯行予告の相談を受けた工藤。社内の調査を進める中で情報システム部門の元社員の山崎に犯人の可能性を感じた工藤は、山崎に事件について問いただすが……。
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「質問を変えましょう。昨日、作業に入って数時間で対処を完了しています。きわめて手際がいい。よすぎるくらいだ。なぜそんなに早く対処できたんです?」
「以前からあの問題は把握していましたから。ただ、対処は簡単ですが、影響範囲が広いので確認には時間がかかると思います」
以前からあの問題を把握していただって? 意表を突かれた。向こうから、あっさりと認めるとは思わなかった。オレは早希を横目で見る。
「以前からご存じとはどういう意味でしょう? そんなことは報告されていません。障害に関しては報告していただかないと困ります」
早希の言葉に、山崎は困った顔をした。
「うっかり話してしまいました。それは……どこまでお話していいんでしょうか?」
「全て話してください。これは刑事責任を問われかねない問題です。そうでなくてもシステム風紀部は、情報システム部に関わるあらゆる情報を閲覧する権利を持っています」
早希が固い声で答え、社長をちらっと見る。つられて山崎も見るが社長はなにも言わない。
「社内システムには以前から複数の脆弱性が存在し、そのいくつかは今回のようなクリティカルなものです。それは社内システムドキュメントにも記載されています。私は前の担当者から脆弱性情報を引き継ぎ、新たに発見したものを加えました」
山崎が早希の目をじっと見て説明した。とんだ爆弾発言だ。オレも驚いた。脆弱性情報の詰まったドキュメント……そんなものが存在したなんて。
「未解決の脆弱性情報が記載されたドキュメント? なんですか、それは?」
早希の声が一オクターブ上がった。
「公式に社内で管理されているドキュメントに脆弱性情報を加えたものが、正式なドキュメントです。私はそう考えています。しかし、情報システム部では脆弱性情報の部分をカットしたものを公式ドキュメントにしています。正確に言うと、比較的対処が容易なものは対処し、対処が難しいものは後回しにし、なかったことにしました。今回の脆弱性は対策は簡単ですが、影響範囲が大きかったので放置されていました」
「脆弱性情報の申し送りってわけか……」
予想していたよりも、ずっと問題は大きかった。社長が空咳をした。もぞもぞ身体を動かしているところを見ると、なにか言いたいんだろう。だが、黙っていてほしい。
「これは予想以上の大問題です。いったい誰がこんなことを許していたんですか?」
早希が声を荒らげる。
「歴代の情報システム部長です。私は何度も止めるべきだという話をしたんですが、聞いてもらえませんでした。ばらしたら濡れ衣を着せて懲戒免職にしてやるとまで脅されました。私もそこまで強い人間ではありませんので黙るしかなかったんです。いまも、私が話したことが伝わったら、どんな報復をされるかとても不安です」
山崎はそこで早希から目をそらしてうつむいた。
「ありえない……山崎さん、あなたの安全は私が保障します。全て洗いざらい話してください」
「待った! その前に事件を整理しておこう。山崎さん、あなたがその問題を告発するために事件を起こしたとオレは思ってるんですよ」
肝心なことを忘れてもらっては困る。たとえ、どんな事情があるとしても、オレは自分の仕事をしなけりゃならない。
「なるほど、それでわかりました。どうも雰囲気がおかしいと思ったら、そういうことだったんですね。しかし、私はやっていません」
そこまで言って、山崎は身の潔白を証明する手段がないことに気がついたらしく青ざめた。
「いや、しかし、確かに私なら全部できるし、動機もある」
頭の中で自分で自分の無罪を証明できないかシミュレーションしているようだ。
「山崎さん以外にできる人間はいない。外部のハッカーが侵入して、あの迷路のようなシステムの脆弱性を発見できる可能性は低いし、わざわざそんなことをするメリットもない」
オレは畳みかけた。
「待ってください。私ではありません。そんなことをするくらいなら、会社に在籍しているうちに社長に直訴してます。そんな勇気は私にはありません」
「まあ、いい。じゃあ、もうひとり関係者を呼んでこよう」
オレは早希に目配せした。早希が部屋を出て行く。山崎は不安そうにそれを見送る。社長が、また空咳をしたが、オレは黙っていてくださいという視線を送る。
微妙に張り詰めた空気の中、しばらく無言で早希が戻るのを待った。誰を連れて来いとは言わなかったが、早希なら察してくれるだろう。
早希が河野ひとみを連れて戻ってきた。
「工藤さん、確かに脆弱性ドキュメントは存在しました。河野さんに見せてもらいました。今回の脆弱性もそこにありました」
早希は部屋に入るなりそう言うと、一冊のファイルをテーブルに置く。社内規定に沿ったナンバリングのあるものだ。だが、さきほど早希から渡された資料にはなかった。
早希はオレの隣に腰掛け、逆の隣に河野を座らせた。
「こんな番号が存在していたなんて……」
早希はため息をつく。社長が手を伸ばしてファイルを取ったが、誰もなにも言わなかった。目を皿のようにして読み始める。
「河野さんは、事件が起きた時から犯人が誰かわかっていた。でも、自分にシステムを教えてくれた大先輩だから言えなかった。そういうことだね?」
オレは河野の方に顔を巡らせて尋ねた。大事なところだ。河野の顔には、当惑と不安が入り交じった表情が浮かぶ。
「犯人? どういうことなんでしょう?」
顔から血の気が失せた。
「山崎さんが今回の事件の犯人らしいの。河野さんは知っていたの?」
早希が、言いにくそうに答える。
「えっ」
河野は大きく目を開き、口に両手を当てた。すぐに目は普通の大きさに戻ったが、大粒の涙がこぼれ出す。早希がハンカチを出して渡そうとすると、河野は首を振り、自分ので頬をぬぐった。
「脆弱性情報は全部知ってるし、会社にシステム入れ替えをさせたいという動機もある。あとは本人が認めるだけなんだ。もう一度訊くけど、あんたは事件が起きた時に気がついたんだよな」
オレは語気強く河野を責めた。
「山崎さんが犯人であるはずはありません」
河野は震える声で反駁(はんばく)する。
「おいおい。ここまで状況証拠がそろっているんだ。ひっくり返せないぜ」
オレがそう言うと、河野は首を数回激しく横に振り、それから細い声で
「犯人は私です。脆弱性情報は私も知っています。引き継ぎましたから」
と漏らした。
「河野くん、止めなさい。私をかばうことはない。真犯人を見つけて身の潔白は証明するから君がそこまですることはない」
山崎が立ち上がる。
「ほんとうに私なんです」
河野ははっきりした声で、ゆっくりとつぶやいた。社長と早希は、わけがわからないといった顔だ。これでいい。これを待っていた。
「うん。オレもそう思う。山崎さんよりはっきりした動機もある」
あっさりオレは前言撤回した。
「動機?」
早希が訝しげな声を出す。
「工藤さん、どういうことなんです?」
さすがに我慢仕切れなくなった社長が声を出した。
「彼女は山崎さんにもう一度会いたかったし、山崎さんがやりたかったことをやらせてあげたかった。そのためには、この方法が一番だった。ここまで大騒ぎになるとは思わなかったんだろう」
オレがそう言うと、河野はまっかになってうつむき、山崎は困惑した表情で腰をおろした。
「なにを言ってるのかわかりません」
早希もわからないようだ。オレはあえてなにも答えない。
「工藤さん、わ、私から言わせてください」
しばしの沈黙の後に、河野が立ち上がり、山崎に向かって深々と頭を下げた。