「獺祭」 桜井社長インタビュー(1)「他人任せにしない。自分たちが知識を持つことが大切」
- 2016/5/10
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近年、東京の繁華街では当たり前のように目にするようになった「獺祭(だっさい)」の二文字。山口県の小さな酒蔵である旭酒造が作る純米大吟醸の銘柄だ。今や売上65億円を超え(2015年9月期)今や100億円にも迫る勢いの旭酒造だが、実は現社長の桜井博志氏が先代である父の急逝により社長に就任した30数年前は倒産の危機に瀕していた。そこからの立て直しは、まさに「逆境経営」だった。地元農業関係者、販売先、果ては酒造りを担う存在である杜氏にまでそっぽを向かれ、「常に逆境」(桜井社長)だったが、自らの酒造りに対する考えと想いを貫いて育てた「獺祭」で、「大逆転」していった。
今回、旭酒造の酒造りへの取り組み方について桜井社長にインタビューした。一見関連のないように思える「獺祭」と「情シス」。しかし、桜井社長の話は「情シス」が仕事をする上で参考となる示唆に富んでいた。
桜井博志・旭酒造社長
ブラックボックス化した杜氏頼みの酒造り
「一般的な日本酒の蔵元はブランドを持っているだけで、酒造りそのものは職能集団である杜氏にお任せなのです。多くの杜氏は夏場に稲作をやり、農閑期になると、蔵人と呼ばれる職人を引き連れて酒蔵にやってきます。したがって、酒造りのノウハウと労働力は杜氏が押さえており、蔵元から見ると酒造りはブラックボックスになっていたのです。普通のメーカーじゃ考えられないでしょう?」。
桜井社長は日本酒造りの構造的な問題についてこう指摘をする。そして、こう続ける。
「したがって、ほとんどの蔵元は杜氏に口出しできない。味や品質に対しても杜氏の言うとおりにせざるを得なかったのです」。
つまり、勘と経験に裏打ちされた日本酒造りのノウハウは完全に杜氏が握っていたというのだ。
これはまるで、自社システムの構築や保守をシステムインテグレーター(SIer)やベンダーに任せきりの情シスや企業そのものといえる。その結果、SIerにいわれるまま作ったシステムはコストばかりがかかりユーザー目線を忘れた使えないものになってしまうというのはよく聞く話だ。
日本酒の蔵元は本来なら、自身て味や品質を把握し、コントロールするのがあるべき姿であろう。旭酒造は現在、それを実現している。なぜなら、「杜氏」と呼ばれる職人が旭酒造にはいないのだ。この杜氏不在は、あるきっかけから始まった。
「事業拡大を目論んで専門外の地ビールビジネスに手を出したのですが、これが失敗し3か月で撤退。大きな負債を抱えてしまいました。その結果、危機感を抱いた杜氏が来なくなってしまったのです。それはそうですよ。明日をもわからぬ蔵元に酒造りに来るわけはありません。我々は酒造りを自分たちの手でやらざるを得なくなりました」。
これは、情シスであれば、長年頼ってきたベンダーがある日突然、ノウハウを開示しないまま構築や保守作業を放り投げてしまったというようなことだろう。この苦境に桜井社長はどう対応したのだろうか。
杜氏から酒造りを取り戻す
実は、桜井社長は杜氏がいる頃から、データに基づく酒造りを進めていた。そのきっかけは「質」へのこだわりだった。
「旭酒造は長らく『二級酒』をつ小さな酒蔵でした。したがって酒造りも『質』よりは値段を優先していまたが、価格競争が激しくなると、大きな酒蔵には勝てず、年々売上が落ちていく一方。私が社長を継いだ時はそのような状況でした。この苦境を打開するにはどうすればよいのか。それが、儲かる『高品質の日本酒』を造って売る。つまり『純米大吟醸』を造るということでした」。
しかし、この考えは杜氏には受け入れられなかった。
「杜氏は反対しました。『難しい』『手間がかかって大変だ』と。まあ、杜氏自身も実際に純米大吟醸を造ったことがなく、自信がなかったのでしょうね。また、杜氏の酒造りは勘に頼る部分も多く、意味がわからないこともありました。例えば、醗酵を始める温度が毎日違う。それができ上がりのバラつきに現れているのだけれども、杜氏は、酒造りとはそういうものだというのです」。
「そんな時に、とある研究機関にて発行された純米大吟醸造りのレポートを入手することができたので、それを教科書代わりにして、その通りに造ってみると、これが意外とうまく行って、まあまあの出来だったのです。今から見れば60点ぐらいですが。教科書通りに造ってみたら、杜氏が『難しい』と言った純米大吟醸がそれなりの出来ではありましたが造ることができたのです。そこから、データに基づき酒造りを行い、その結果をまた次の酒造りに活かしていくことが、バラつきの少ない『質』にこだわるよい酒造りができると気づいたのです。そして、きちんとしたデータに基づいて造れば、杜氏のノウハウはいらないということがわかったのです」。
桜井社長は、酒造りのみならず、杜氏が握っていた酒税計算のノウハウも手に入れたという。
「杜氏が持つ大きなノウハウの1つに、『生産帳簿づけ』というものがあります。これは投入した原材料から、どれぐらいの酒量と酒粕ができるのかを計算し、記録する仕事です。酒は担税飲料、酒税がかかるので、正確なアルコールの量を算出する必要があるのです。これを杜氏が電卓を持って蔵にこもり、3日ぐらいかけて計算をします。本来、この仕事は課税当局である国税庁がやるべきなのですが、なにせ現場がわからないので、計算ができない。そのため杜氏頼みなのです」。
「私が経営を継いで間もない頃は、ワープロ専用機に表計算機能が搭載されていました。私は算出方法をわかっていたので、その機能を使って計算すると瞬時に答えが出た。それを杜氏に見せると、3日後に『計算、合ってますね』と言ってきたのです」。
桜井社長はこのようにして、ブラックボックスだった杜氏のノウハウを科学的なアプローチで自らの手中に取り返していった。
「杜氏任せにせず、自分たちで酒造りの知識を持つことが大切。これにより、ほかの蔵元とは異なり、当時の旭酒造では、杜氏はかなりの緊張感を持って酒造りに望んでいたと思います」。桜井社長はこう強調する。
これは情シスにもいえることだ。
すべてをベンダー任せにせず、自社システムの中身をしっかりと把握し、自らコントロールすることで、実際の業務は任せるにしても「ブラックボックス化」はしない。そうすれば、さまざまな変化への対応やリスク管理、コストのチェックもしやすくなる。ベンダーも緊張感を持って業務に取り組むはずだ。
自らの手にあるからこそ、こだわりを貫けた
「杜氏は業界の常識に照らして『純米大吟醸は難しい』といって、結局本腰を入れてはくれなかった。しかし、杜氏が去っていったことで、自分と社員たちだけで酒造りの全てをやらざるを得なくなりました。ある意味で逆境ではありますが、酒造りに関して蔵元である私自身のこだわりが貫けるようになった。それがよかったと思います」。
経営危機がきっかけとなり、杜氏が去った蔵元。しかし、その結果、杜氏任せにせず、自らが酒造りの全てを掌握できるようになったことで、旭酒造は、今の「獺祭」の躍進につながる「こだわりの酒造り」に邁進できるようになったのだ。
本社蔵では桜井社長のこだわりが詰まった獺祭が1年を通して生産されている。
このことを情シスに当てはめるとどうだろうか。
情シスは企業が業績を上げるために役立つITシステムを構築、運用するのが役割のはずである。しかし、SIerやベンダーに主導されていては、その役割は果たせない。旭酒造が酒造りを完全に掌握したように、情シス自らがシステムを把握し、ベンダーをコントロールすることが大切なのだ。(「獺祭」 桜井社長インタビュー(2)「記録を蓄積し経験を積むことで品質を追求する」に続く)
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